大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(う)886号 判決

被告人 J・W・コツクレール

〔抄 録〕

原判決は被告人が本件事故を発生せしめた当時、飲酒のため呼気一リツトルにつき〇、二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により酩酊し到底正常な運転を期し難い状態にあつたという判示事実を認定するについて、呼気中のアルコール濃度の科学的判定によらなかつたことは所論のとおりである。しかし、道路交通法施行令において「酒気を帯びた場合のアルコールの程度」を、身体に保有するアルコールの量が呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム、または血液一ミリリツトルにつき〇・五ミリグラムとする旨規定したのは、科学的実験の結果アルコールの保有量が右基準未満のときは、一般に殆んど車輛等の運転に影響を及ぼすものとは認められないという統計的事実によるものであり、また道路交通法が酒気帯び運転それ自体を処罰の対象としなかつたのは、アルコールの保有量が右基準程度に止まる限り、未だ外観上容易にその判別がつき難いばかりでなく、車輛等の操縦に対しその影響を及ぼさない事例の多いことを考慮に容れたことによるものと解される。それゆえ道路交通法第六十五条にいう「酒気帯び」の状態と同法第百十八条第一項第二号にいわゆる「酒に酔つている状態」即ち知覚及び運動の各機能が著しくそこなわれ、注意力が散漫になつているため車輛等の正常な運転ができないおそれのある状態との間には相当の隔りがあるものといわなければならない。従つて、一般的に酒に酔い正常な運転のできないおそれのある状態と認むべき場合は、概して酒気を帯びている状態、即ちアルコールの保有量が同法施行令第二十七条所定の基準を超えているものと推定するを妨げないのである。しかし、飲酒による呼気並びに血液中のアルコール濃度の変化及びそれに従つてアルコールの影響の現われる度合には、それぞれ個人差があるばかりでなく、同一人についても飲酒の方法、飲酒時の心身の状況の如何により一様ではないこと日常経験上明らかであるから、アルコールの保有量が前記基準を超える程度であつても、未だ酒に酔つていない状態にある場合の存し得る反面、右基準に達しない程度であつても、既に酒に酔つている状態であると認めるべき場合のありうることも、また否定できないところである。しかし、それだからといつて、このことのために必らずしも科学的判定によらなければ「酒気帯び」の事実を認定することができないという理はないのであつて、運転者の言語振り、歩行状況、直立能力の限度、顔貌の様相、着衣の状態等からする外観的観察と、その者の飲酒した分量、飲酒後の経過時間、平素の酒量等を彼此総合勘考したうえ、経験則上明らかにアルコールの保有量が同法施行令第二十七条所定の基準を超え、且つ、その影響により車輛等の正常な運転ができないおそれのある状態にあるものと認められる場合には、敢えて科学的判定の結果を俟つことを要しないものと解するのが相当である。ところで、本件についてこれをみるに、原判決挙示の証拠によれば、被告人は本件事故の直前まで、即ち昭和三十六年七月二十日午後六時頃から翌二十一日午前一時二十五分頃までの間、ビール約二・一六リツトルと外国製「ジン」約百CC余を飲んだが、被告人の平素の酒量はビール約一・四四リツトルないし約二・一六リツトル程度であつたこと、及び被告人は本件事故直前、判示事故現場手前においてカール・イー・セニヨアーの運転する自動車を追い越したが、その頃被告人は自己運転自動車を道路左右に蛇行させ、対向車と危うく衝突する寸前、辛くも道路左側にこれを避ける等、既に自動車を安全に操縦し得ない状態にあつたこと、また被告人は判示の如く自車の前部を被害者の運転する原動機付自転車に追突させ、同人を道路上にはねとばしたにも拘らず、これに気づかず、そのまま現場を走り去つたこと、更に右事故発生後自己の所属部隊に帰つて自動車から降りた際も、未だ酔いのため直立することができない状態にあつたことが認められる。これらの事実に徴すれば、本件事故発生当時、被告人は現実に酒に酔い、車輛等の正常な運転ができない状態にあつたこと、また該事故の発生も右のように酒に酔つた状態のまま運転したことに基因することを明認し得られるので、敢えて当時の呼気並びに血液中のアルコール濃度についての科学的判定の結果を俟つまでもなく、経験則上所論アルコールの保有量は道路交通法施行令第二十七条所定の基準を超えており、もはや、その程度は前記のような人と場合による差異等を考慮に容れるに及ばない段階にまで達していたものというべきである。してみれば、本件当時、被告人が呼気一リツトルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により到底車輛等の正常な運転を期し難い状態にあつたものと認定した原判決は相当であつて、当審の事実取調の結果に照らしてもこの結論を左右することはできない。それゆえ原判決には所論の如き違法はなく、論旨は理由がない。

(坂間 栗田 片岡)

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